ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

言霊の実験

 

言葉には、良くも悪くももの凄いパワーが宿っている

実際に、心を込めるとか込めないとかに関わらず、発した『言葉』そのものに、既に波動とかエネルギーが乗っているのは感じていました

それは分かる、間違いない

しかしそんな漠然とした感覚だけでなく、実感として体感として『言霊』のエネルギーを感じてみたい

 

何となく自分がワクワクするのを感じたので、実験をしてみることにしました

 

……

 

実験に使ったのはコチラの8つの言葉たち

 

・愛してます

・ツイてる

・嬉しい

・楽しい

・感謝してます

・しあわせ

・ありがとう

・ゆるします

 

これは確か、斎藤一人さんのYouTubeで紹介されていた波動が高いとされる言葉たち

実際に声に出して呟いた時に心地良さを感じたので、この言葉たちを使って実験してみる事にしました

 

まずはとにかく声に出して呟きまくりました

人前とか家の中とかでブツブツ呟くのは、流石に怪し過ぎなので、一人で車の運転をしてる時とかに呟くことから始めました

ストレス無く実行できるかどうかはとても大切です

自分が納得出来るやり方を探りながら、無理せず楽しむことを心掛けました

 

車の中での呟きは、思わぬ方向に結果をもたらし始めました

何だかいつもより駐車場にスムーズに駐車できる、気がする、、

これって『言霊効果』なのでは??

そこから私の中で、言霊と駐車状況の関わりを観察するゲームが始まりました

 

8つの言葉はそのままだと呟き難かったので、メロディとリズムを付けて独自のスタイルにアレンジしました

これが凄く良くて、まるで歌っている様な感じでエンドレスで唱え続けられるんです

センスの無いダサい感じがやや残念ではあるものの、誰かに聴かせる為のものでは無いのだから、それでいいやっていう開き直り

 

そうやってゲーム感覚で遊び始めたら、まぁ効果が出るものだから面白くなっちゃって

ちょっと混んでるな〜と思ってても何とか停められるし

てか、激混みの駐車場でも何とか停められる

しかも中々のベストポジションが空いている

時には目の前で車が出てベストタイミングで停められる、、

そうやって、段々と精度が上がっていくのが分かりました

 

これは尋常じゃないぞ、と、多少ビビりつつ

言霊の威力に平伏しつつ

最終的には、駐車場が近づいたら子ども達と一緒に例の言葉を呪文の様に歌う?唱える?というのが普通になっていきました

(冷静に考えると、実に怪しげな家族ですね)

 

そして更に、どんなに激混みな状況でもこの呪文があれば絶対いいポジションに停められるというのが普通に起こるようになり、それがラッキーを通り越して当たり前になっていきました

 

これは私と私たち家族に起こった実話です

 

実験の結果『言霊』の力は実在するし、もの凄いということを身に染みて実感する事が出来ました

それからは、普段何気なく発する些細な言葉にも気を配る様になりました

良くも悪くも影響力が凄いですから

ちなみに、良い言葉を選ぶことも大事ですけれど、悪い言葉を使わないようにすることは、更に気遣った方が良さそうだと思っています

 

 

この実験をしていたのは、かれこれ5年程前のこと

駐車場の件に関しての現在の様子はと言いますと

例の呪文を唱えずとも当たり前にベストポジションに停められる状態が維持できてます

 

『言霊の実験』で波動が爆上がりしたということなのでしょうか

まぁ、それ以外にも開運アクションやら色々な実験やらやってますので、もはや何が功を奏してるのか特定する事が出来ないというのが正直なところでもありますが、、

でも、『言霊の実験』は私の中で大成功に終わりました

 

自分で実験してみるって大事です

しかも何と言いますか『本物』ってお金が掛からず簡単なことが多い気がします

『言霊』なんてまさしくそう

思い立った時にすぐに始められます

実際に効果が出るか出ないかはやってみてのお楽しみ

私的には絶対オススメです!

 

 

パラレルシフト

 

インナーチャイルド、過去のトラウマ、心の傷が癒されて、、その後どうなったか

こちらは前回の『癒しの時は突然に』の続きになります

 

……

 

自分の中の深い部分、大事な部分の傷が癒やされて浄化が起こるとき、自分自身の波動・エネルギーに変化が起こります

浄化によって起こる変化は、具体的には、波動・エネルギーは、高く、軽く、光に近くなるイメージです

 

ちなみに、波動・エネルギーには良い悪いの区別はありません

高いから良いとか、低いから悪いとか、そういう判断をするようなものではありません

ただ自分がどの場所に位置しているかの違いがあるだけです

 

波動、エネルギーが変わると、現実の世界も変わります

私は現実世界について、高次の世界(波動・エネルギーの世界)を射影した空間だと理解しています

波動・エネルギーにはざっくりとした階層のようなものがあり、現実世界にもその波動域によって目に見えない階層のようなものが存在していると思われます

この世界にはいくつもの次元や階層が折り重なって存在しているということです

 

前回お話しした件で、私の中で癒しと浄化が起こり、私は自分の波動・エネルギーが変化するのを感じました

変化の感じ方は人それぞれ違いがあると思いますが、私の場合は景色が明るく見えたり、空気が軽く感じられたり、心に温かさを感じたりという感覚で感じ取りました

 

波動・エネルギーが変化したということは、自分の現実世界も変化することを意味します

案の定、ディーラーの担当者さんはあれ以来営業トークをしてこなくなりました

私の意識が変わったせいもあるでしょうが、二人の間に流れる空気もそれまでとは違い、変な違和感が消えて呼吸がしやすくなりました

(ちなみに、昔は波動・エネルギーの変化が現実化するまでには、長めのタイムラグがありましたが、最近は現実化のスピードがどんどん速くなっています)

 

今自分がいる場所が、さっきまでの世界と繋がっていないような不思議な感覚

別の世界線に迷い込んでしまったかのような不思議な感覚

何となく感じたことがあるという方は、少なくないと思います

私も今までに何度も、この類の不思議体験を経験してきました

 

トラブルばかりだったはずの相手と、ウソのようにわだかまりが晴れていたり

心配案件がごっそり消えていたり

突然病気が治ったり、痛みが消えたり、傷が消えたり

どうしても超えられなかった障害がいつのまにか気にならなくなっていたり

自分自身、別人に生まれ変わったような変化を感じたり

他者が、別人のように変わったと感じたり、、、

 

私は、これがいわゆる『パラレルシフト』と呼ばれているものなのではないかと思っています

波動域が変化して、今までと違うパラレルにシフトしたというイメージです

 

癒しや浄化が起こったりして、大きく波動域が変わるタイミングには、必ず何かしらの案件が起こるように感じます

それはまるで分かれ道の分岐点に立たされているようなもの

そして、どちらの道に進むかの選択をさせられます

一方は今まで通りの波動域のエリアに繋がっていて

もう一方は今までよりも少し高い波動域のエリアに繋がっている

波動領域の変化を伴った道を選択したとき、『パラレルシフト』が起こるという仕組みになっているのだと思われます

 

『パラレルシフト』はきっと誰もがみんな経験している、当たり前のことです

特別な人にだけ起こるような、特別なことでは決してありません

タイミングは、癒しや浄化以外にも、気づきや、ゆるしや、手放しなど、様々あると思いますが、それも日常の一コマから始まっていくような気がします

 

『パラレルシフト』の仕組みやからくりを知っていれば、人生をより軽やかに生きられる気がします

だって、世界も人生も実はばらばらで繋がっていないのだとしたら、次の瞬間を自分で選択できるのだとしたら、とっても気が楽になりませんか?

私はこのことを何となく理解できたときに、魂的にとても自由になり、やっと何かから解放された気持ちになれました

現実世界はとても重くて制限だらけで息苦しいですが、少しでも軽やかで明るい波動領域にシフトしながら、限りある人生を楽しめたらいいなぁ、と思っています

 

 

癒しの時は突然に

 

これは、つい先日私に起こった、インナーチャイルド、過去のトラウマ、心の傷の癒しについてのおはなしです

 

……

 

私の愛車の軽自動車は、今月購入から10年目を迎えるのですが、先日4度目の車検ということで、いつも点検でお世話になっているディーラーさんにお願いをしたんです

 

私は運転がやや苦手、だから小回りが利く軽自動車が丁度よくて、車の事は詳しくないながらも数ある軽自動車の中から、車種とカラーを悩んで選んで購入しました

私は物持ちが良い方で、新しい物をどんどん買い替えるタイプの人間ではありません

車もスマホも、一度購入したら壊れても直しながら使い、本当にダメとなってから新しくする、的な

それを愛着と呼ぶのか、変化を嫌う保守的な性格と捉えるのか、、とにかくそんな性格なのです

 

だから10年目の愛車に対しても、大事に大事に乗り続ける気持ちが当たり前にありまして、

しかもこの車、ぼぼ通勤にしか使っていない為、走行距離は約68,000㎞、故障だってありません

これからもなるべく永く乗り続けたいなぁ

そんなつもりで、車検以外にも半年毎の点検パックを利用しながら、こまめにメンテナンスしてもらっていたのでした

 

車の購入時から長年に渡り担当してくれていた方が定年退職し、担当者が変更になったのだけれど、新しい担当者さんは点検の度に新車の購入を勧めてきます

それが営業の仕事、彼女の仕事なのはよく分かるのですが、

それでも、それが私的には苦痛で仕方ありませんでした

 

新車購入のススメ的な話になる度に、車に対する私の考え方を冷静にお伝えするのだけれど、担当の彼女は営業トークをやめてくれなくて、私は密かにうんざりしていました

とは言えあえて問題にする程のことでは無いしなぁ、ほんの数分我慢すればいいだけの事、とスルーしていました

 

でもね、でもね、やっぱり何か嫌なんです

『この車を大事にメンテナンスしながらなるべく永く乗り続けるつもりです』

何度もそう伝えているのに、新車がどうとか下取りがどうとか、自分の主張ばかりしてくる若き担当者

利用者(私)のニーズに合ってないセールストークに、『私という存在』を蔑ろにされているような違和感を感じてしまう

怒りのような、悲しみのような、変な引っ掛かりが後味悪く心に残ります

 

少しでも心地悪さを感じるのなら、その状況を自分に我慢させたくない

自分の世界を自分の心地良さで満たしてあげる事は、自分を大切に扱うという事だから

 

そんな気持ちに従って、私は正直な気持ちを真っ直ぐにありのまま伝える事を心に決めました

次に会う時にまたそんな話をされたりして嫌な気分になったら、我慢して適当に相槌を打つのだけはやめにしよう

それはクレームとか衝突とか争いじゃ無くて、ただ単に心地良くないことを止めてほしいという意思表示

そんな大げさなことじゃない、当たり前の行為だ!

 

 

と、その時、白昼夢の様に昔の自分が思い出されました

 

意地悪されて、馬鹿にされて、『私という存在』を蔑ろにされて

その時私は、凄く嫌だったし、凄く悲しかった

なのにヘラヘラ笑ったりして、その場をやり過ごしたりしていた

 

その時私は、私の中で泣いてる小さな自分に寄り添い味方になる事よりも、目の前で自分に意地悪する、友達とは呼べないような、本当は嫌いな人達の顔色をうかがうことを優先させたんだ、、、

 

どうして急にそんな思い出が蘇ってきたのかと動揺しつつ

その理由は自分が一番よく分かっていた

それはインナーチャイルドの叫び

過去のトラウマ

過去の自分の傷が時空を超えて飛んできて、今この瞬間のエネルギーと同調し結びついたんだ

 

今起こっている事と、過去に起こった事は、どうやらエネルギー的には同じということらしい

自分自身と、目の前の相手と、大切にすべきはどちらなの?

過去に間違った選択をしてしまった私だったが、もう一度やり直す為のチャンスがどうやら巡ってきてたみたい

そんな大事な魂の再テストが、こんな日常に、こんな普通に紛れ込んでるなんて、、

 

そうとも知らず起こった出来事に、私は見事に対処出来たみたいで

自分の気持ちを一番優先させて丁寧に扱ったことが、思いがけず過去の自分を癒すことに繋がったみたいでした

何とも言えない優しい空気に包まれて、暫く放心してしまったけど、その温かさこそが合格のサインのように思えました

 

 

癒しの時は突然やってきます

何でもない日常の中に紛れて

 

たとえ何度間違った選択をしてしまっても大丈夫

合格するまで、何度でも再テストさせてくれるから

 

 

福の神

 

波動や運気が上がっている時のサインがあります

いくつかあるサインのうちの一つが『福の神』の現象です

これは私が勝手につけた名前で、色々呼び方はあるとは思うのですが、、

 

その『福の神』の現象とは何かというと、

はじめはお客さんの数がそう多くなかったはずのお店で、自分が入店した途端に混み始めるという現象のこと

誰もが経験したことがあるかと思います

 

出先でふらりと入った飲食店とか

アパレル系のお店とか

夜のコンビニとか

『あ、空いてる〜♪』と思っていたら、いつの間にか人が増えててびっくり、的な、アレです

 

それが運気がいい人に起こる現象だと知ってからは、それが起こると嬉しくて、起こる度にワーイ!と喜んでいました

 

で、よくよく観察していると、それがかなり頻繁に起こっているのに気がつきまして、

主人や子ども達の前でだけ自慢したりして、ネタとして楽しんでいました

『お母さん、また福の神〜!』という軽いノリです

家族もハイハイと苦笑いで付き合ってくれてると言った感じ

ちょっとイタイおばさんです、済みません、、

 

それが段々、時々から頻繁に、そして必ず?くらいに起こるようになってきました

流石に気のせいだけでは済まされない気がして、私は更に調子に乗って『私、福の神だわぁ』と自覚する様になったんです

 

そんな風に自覚したのがスイッチになったのか、そこからブーストがかかり、『福の神』のレベルが更にアップ!

最近の『福の神』によるお店の混み具合がエグいことになってまして

本人も家族も驚いてます、、

 

……

 

これはただの自慢話とかではなくて、運気の上げ方のヒントやコツのお話しです

 

ポイントは思い込むことなんです

疑いや迷い無く、本当にそうだと本心から思い込むことが大切なんです

 

自分は運気がいい

波動が高い

何もかもうまくいっている

私は『福の神』

幸せをもたらす『福の神』

 

思うからそう成るのです

その思考が現実に成るのです

 

騙されたと思って実験してみてください

お金も時間もかかりません

頭の中、お花畑でいいんです

それが軽くて心地よいと思うなら、それで十分です

逆に自分に合わなければやめればいい

ただそれだけです

批判やジャッジはいりません

そこにあるのは常に自分だけ

自分の心と対話して、純粋にどうしたいかどうなりたいか、決めたらいいんです

 

自分が『福の神』になるかどうかは自分が決めてください

なると決めれば、誰だって『福の神』になれますよ

 

 

 

ポンコツ

 

最近夏らしい暑い日が続いていますが、私はこの季節いつも体調を崩してしまいます

 

日中の暑さで体力を消耗し

エアコンの効き過ぎた環境も苦手で

寝苦しい夜に寝不足が続けば、疲れが癒える暇もない

食欲は無く、身体の浮腫みが辛い今日この頃

歳のせいでしょうか、年々身体のキツさが加速しております

 

このようにしてじわじわと進む老化は、私のポンコツを更に引き立たせてゆきます

しかし、まるでそれに呼応し入れ替わるかのように娘たちが成長し

なんと、何も言わずとも家の事を手伝ってくれるようになってくれたりして、、

 

少し前までは、自分勝手で我儘放題

お手伝いを頼んでも引き受けてくれる事が稀だったのに

今では自ら進んで色々と手伝ってくれている

こんな日が本当に来るなんて、、

驚きやら感謝やらで、感動がハンパないです

ありがとう娘たち!

 

 

私は、身体が弱いのに加え、色々と不器用で失敗ばかりのポンコツ母さん

身体は変に弱いだけでなく、運動神経が壊滅的なので怪我も多いです

そして頭の中はお花畑、、、

言葉にすると悲しくなりますが、事実です

きっと、世間的に少し変わったお母さんです

認めたくありませんが、若干の?自覚があります

 

娘たちはこんなポンコツな私のことを、母親に選んで生まれてきてくれたんだなぁ

有難きことです

そして更に、しっかり優しく育ってくれている

これはもう奇跡でしかないと、私は本気で思うのです

 

……

 

人生の前半で私は、このポンコツを必死で隠そうとしていました

ポンコツの自覚があるからこそ、真反対の理想の自分を精一杯演じていました

 

常識的な立ち振る舞いを心掛け、優等生的な見た目

時間も約束もしっかり守り

身だしなみも部屋の中もきっちり綺麗に整理整頓

仕事は正確に迅速に笑顔でこなし

誰かの役に立つことが自分の幸せ、、、

 

昔の私は、誰かに頼るとか力を抜くとかが上手に出来なくて、いつも一人で頑張っていました

でも本当は毎日辛かった、、

それはそれは、二度と戻りたくはない地獄の日々でした

 

それが今ではポンコツ全開!

まるで別人か!ってくらい頑張らなくなりました

 

そうしたら

家族や周りのみんなが助けてくれるようになり、前よりもずっと幸せで生きやすくなったんです

ポンコツを受け入れていなかったのは、周りの人々ではなく自分自身だったというわけです

 

ありのままの自分を、まずは自分自身が受け入れて愛してあげる

どんなに残念でも、変わっていても、役に立たなくても、それがありのままの姿ならば、そのままの全てを受け入れる

そしてそれと同じように、誰かの全ても受け入れる

どんな姿も在り方も、ありのままを受け入れる

 

 

生まれながらのポンコツは生きるのに多少の不便があったけれど、私に大切な学びや気づきを、こうしてもたらしてくれました

私はこれからも、ゆっくりじっくり、この『ポンコツ』と共に歳を重ねていきたいと思っています

 

 

娘の不登校⑦

 

補足

 

我が家には娘が2人おります

『娘の不登校』のおはなしに登場したのは姉の方

姉が不登校になって家の中が色々とざわつく中、妹の心にも当然変化がありました

これは不登校の姉を持つ妹のおはなしです

 

……

 

ある日突然学校に行かなくなった姉を間近に見て、どうしてそんな事が許されるのかと説明を求められたことがありました

 

それはそうです、よく分かります

娘たちには体調が悪い時以外は学校を休むのを許可してませんでしたから、妹の不満は当然です

妹にはありのまま、姉の事情を伝えました

そしたら当然のように『じゃあ私も学校に行きたくない時は行かなくていいの?』と言われました

 

当時妹は小学4年生

色々な状況を自分の目で見て、自ら判断し始める頃です

何と答えたらいいかとても悩みましたが、最終的には『もしもどうしても辛くて、どうしても学校に行くことが出来ないのであれば、あなたもお休みしていいよ』と伝えました

 

もしかしたら妹も不登校になってしまうかもしれないな、、

不安でしたが仕方ありません

後はなるようになれ!という気持ちで流れに任せることにしました

 

妹は、しばらく布団をかぶって一人でじっと考えていました

その後自分から私たちの前に現れて『私は学校に行くのが楽しいし、友達と一緒にいたいから、学校に行く』と言いました

その判断に、私は正直びっくりしてしまいました

姉妹の下の子というだけで、私の中ではいつまでも小さい子のイメージがあったので、こんなに真っ直ぐに自分の考えを話せるなんて!と成長を感じてほっこりしてしまいました

 

本人がそうと決めた通り、妹は小学校卒業までしっかり学校に通い続けました

毎日が順調で楽しい日ばかりではなかったはずです

学校に行きたくない日だってあったはずです

そんな中でも信念を貫き頑張っていたからこそ、時には学校に行っていない姉に対して『許せない』とか『ずるい』とかいう気持ちをぶつけることもありました

 

親としてはどちらの気持ちもよく分かるし、どちらの気持ちも大切にしたい、、

それぞれの心に寄り添いながら、それぞれの心を信じながら、出来る限りのことをしました

 

それぞれの魂の成長に必要なことが、必要なタイミングで起こっている

子ども達が、次々に起こる現実から、何かを吸収し成長する瞬間を間近に目撃する度に『親』になれたことの奇跡に感動しました

 

妹にとっては『姉の不登校』という一つの事件

その出来事に対し、妹なりに考え、取り組み、向き合った約3年間でした

これもまた、彼女にとっては一つの大きな経験として、魂の糧となり大きな財産となったことだろうと思います

 

 

一人ひとりには、一つひとつの人生がある

それぞれ全てがオリジナル

同じものなど一つとして無い

それぞれ全て、尊い人生、尊い

 

 

娘の不登校⑥

 

中学校生活のほとんどを不登校で過ごした娘

結局修学旅行などのイベントにも参加すること無く、文化祭や部活動などの思い出も何もないまま中学卒業となった

それはそれで少し寂しい気もするけれど、、

しかし娘が選んで決めたことに口出しする気はない

 

3年間勉強はほとんどやっていなかったので、当たり前に学力は落ちた

それでも何とか希望の高校に合格し、今は高校生として毎日楽しそうに過ごしている

 

今現在の娘を見ていて思うことは

不登校の間、まるで時が止まってしまったかのように感じていたけれど、それはどうやら間違いだったってこと

娘の中でしっかり時は流れていた

そして、それなりの実りもしっかりと受け取っていた

 

成長の過程やスピードにはそれぞれ個人差がある

失敗や間違いなんてきっと一つも無いし

どの道のりもどんな選択も、全てが尊い

一人ひとりにそれぞれオリジナルの道が用意されているというだけなんだと、今回改めて感じさせられた

 

自分の心の声に従って行動したらどうなるのか

娘は自分の人生を懸けて、その壮大な実験をしたのかもしれない

その結果生まれた成果は、娘の人生の糧として大きくてかけがえのない財産となったことだろう

 

 

ピンチはチャンス

全て善きこと

すべてはうまくいっている