子どもの頃の私はとってもいい子でした
というか、いい子になろうと頑張っていました
親の言葉をよく聞き、反発せず、従って、常に褒められるような喜ばれるような行動を心掛けていました
いつからそんな思考になったんだろう
どうしてそんなに褒められたかったんだろう
当時の心情としては、親の顔色をうかがってビクビクしていた感覚は無く、自ら喜んでそれをやっていたという記憶
自分が親になり子どもを育てた経験があるから分かるけど、確かに子どもって親のことを純粋に好きだし喜ばせたいと思ってるものだよね
もちろん当時の私も普通に家族を大切に思っていたということなんだとは思う
ただ置かれた環境が特殊だった為に、何かが少しずつ歪んでいったんだろうなぁ
……
結論から言うと当時の私は『寂しかった』んです
そうそう、そういえば私とても寂しかったんだわ
最近は気にしたり思い出したりする事は少なくなったけれど、そこに焦点を当てた途端にリアルに蘇る当時の記憶、、
私は3人兄弟の3番目、兄が2人で末っ子の女の子
父にとっては待望の女の子だったらしく、まあまあ溺愛されてたような記憶があります
この流れからいくと、普通なら自由奔放に我儘に育ちそうなものだけど、、
(というか、兄達からすれば私は『我儘の権化』だと思われている可能性大なのだけれど、、)
実際には複雑な人格が形成されていきました
と言うのも
父は私が生まれてからほどなくして大きな病気になり、以降長い長い闘病生活が始まりまして
そして母は人生のほとんどを父の看病に捧げたという
そんな環境があったからです
もうここからはざっくり端折りますけれど
私は子どもながらに親にこれ以上心配掛けまいと気を遣っていたし
大変なの感じているからこそ迷惑掛けたくないと思ってたし
小さくて無力な子どもの自分に出来ることは、親が喜ぶいい子になって、少しでも安心させることだと思ってた、、
そんな感じです
やってる事自体は何も悪くは無いんですけども
むしろ当時の頑張ってる自分を、とても誇らしく思っているんですけれども
振り返ると、この頃から始まった自分自身によるインナーチャイルドに対する自虐的な扱いと、それに伴う欠乏感やら何やらがめちゃくちゃエグいことになってまして
この深い心の闇に光を当てないまま私は大人になってしまいました
自分が病気になって強制終了となるまで『いい子』をやり続けていたんです
その対象は自分以外の他者全て
親、友達、学校の先生、上司、同僚、夫、義母、自分の子どもに対してまで、、
自分以外の全てに対して『いい子』『いい人』であろうとしていたんだなぁって思います
それが正しい事だと思っていたし、そうやって自分を世界に捧げる事が正解なのだと思って、一生懸命取り組んでいました
そして、もうこれ以上ないという限界まで行ったんでしょうね
病気して強制終了になって一度全てが終わりました
そこからじんわり意識が反転し始めて、全く新しい生き方が始まりました
まさしく破壊と再生です
……
振り返ると大変だったなぁと思うけど、今とても幸せなので、それでオールOK!
少し前までは、過去の苦しみや悲しみが蘇ってきてしんどかったりもしたけれど
インナーチャイルドの癒しやトラウマの解消がだいぶ進んだと見えて、今では随分軽くなりました
思考を軽くすると心も軽くなる
そして心から幸せと思える今だからこそ言えることは、やっぱりこの人生で良かった!ということ
『すべてはうまくいっている』が実体験として腑に落ちるとき、幸せの扉が開くのだと思います