『人生は修行だ』と言う人がいます
かつては私もそう思っていました、、、
人生とは何か、かつての私にとってそれは、永遠のテーマと言えるほど心を占めるものでした
でも、今改めて振り返ると、私の『人生』に対する価値観が、徐々に変化していった事に気が付きます
……
人生とは何かについて考えられるような年齢になった頃の私は、『人生は苦行である』と感じていました
まぁまぁ辛めの現実に苦しんでいた時期であり、家族などの身近な存在を見てもそんな状態でしたから無理もないか、と思います
どんなに頑張っても苦しみからは逃れられないし、頑張る事自体苦しみだし、、それってもう、全て苦しみじゃん、、的な
『苦しみこそが人生』そんな価値観の中よく生きてたな〜と、、今思い出すだけで切なくなります
てか、この頃の私の波動が重過ぎて辛い、、
この頃、身動きが取れない不自由さを常に感じていましたが、これだけ波動が重かったら無理もないなぁと、今更ながら納得です、、
次に私は『人生は修行である』と考えるようになります
人は皆人生を懸けて自分の未熟な部分を鍛え直している、と
完全な状態が『神』であるなら、不完全な状態が『人間』なのではないか、と
完全な状態を目指し修行する場こそが、この現実世界なのではないか、と
いやぁ、まだまだ波動が重いです
何ておマゾさんなんでしょうかと、ツッコミを入れたくなります
修行、、したかったんでしょうね、この頃の私は
自分を自分で追い込んで、ストイックに突き詰める、的なコトをしたかったんでしょうね
まぁ、今となればそれもまたいい経験でした
大変だったと思うけど、よく頑張りましたね!
まるで他人事のようですが、過去の自分に対しては、今の自分とは別のパラレルの自分として、個別の個体として扱うような感覚があり、どうしてもこのような感覚になってしまいます、、
その後私は『人生とは経験と学びの場』と考えるようになっていきます
波動的には『修行』と考えていた頃よりもぐっと軽くなりました
基本的な価値観が大きく変化したんです
それまでは『〇〇でなければならない』『こうあるべき』という思考の檻に閉じ込められていたという感覚です
その檻には初めから鍵なんかはかかっておらず、何なら自分から望んで中に入ってた訳なんですけれども、、
やっとそのカラクリに気付き、恐る恐る檻の外に出てきたのがこの頃です
思い込みの枠を取り払い、フラットな心でただありのままに世界を観る
そういった視線で世界を観察し始めると、今までにないものの見方や感じ方が自分の中に生まれ始めました
『何事にも善い悪いのジャッジなど存在しない』
『ただその状態や経験があるだけ』
この辺から、自分の波動がやっと軽くなり始めました
何にも縛られない自由さが心に余裕をもたらしました
色々な人や、過去の出来事や、過去の自分に対して『ゆるすこと』『認めること』が勝手に発動し、自動的に『浄化』が進んでいきました
やがて私は『人生とは楽しくて素敵なこと』と心から感じられるようになっていきました
どんなに最悪な現実が襲いかかろうとも『ピンチはチャンス』『すべて善きこと』『すべてはうまくいっている』のスタンスで乗り切れるようになっていきました
もちろんそれなりの動揺や苦しみや絶望感は感じますし、泣いたり怒ったり、ボロボロになって体調を崩したり、そこは普通にあります
それはこの現実世界に生きる人間として当たり前の反応です
『感情を揺らしちゃダメ』なんて考えたりはしません
むしろ本能のままに、自分の中から湧き上がる感情を全てむき出しに開放するイメージです
その全てにジャッジすることなく受け止め、受け入れてあげると、どこかでフッと視点が切り替わり『私、今、こんな風に感じているんだ、、』的な俯瞰した視点が生まれます
そのときの自分は、現実世界から少し離れた軽い場所に移動しているかのような感覚です
地に足がついていない、フワフワした感じ
自分の身の上に起こっているはずの現実を、まるでドラマか映画をスクリーン越しに観ているような、そんな不思議な感覚です
そして今現在の感覚がこちら、、『人生は自ら創造するもの』です
ここでいう『自ら』とは『人間のわたし』というよりは『ハイヤーセルフのわたし』
ていうか、厳密にいうと『人間のわたし』と『ハイヤーセルフのわたし』との共同創造のことです
創造のプロセスは
①『人間のわたし』が望みをオーダーする
②それに応じて『ハイヤーセルフのわたし』が現実世界を創造する
簡単に言うとこれだけ、、実にシンプル
※現実世界への現れ方は『人間のわたし』が考え付く範囲の斜め上の出来事として起こりがちなので、オーダーのしかたをこだわり過ぎないのがコツ
これらの経験を通して、改めて『人生とは』と考えるとき、
それは自分が今いるステージによって答えが変わるものだということを感じます
そのどれもが正解ですし、上とか下とか、善い悪いの区別も当然ありません
今、自分にとっての人生をどのようなものにするかは、きっと自分次第です
自分をどのステージに置くかは、きっと自分次第です
自分が、自分の人生の舵取りをしているのだと、責任をもって自覚する時、見えてくる世界がきっとあるように思います