さて、この時私に一体何が起こっていたのか、、
振り返ってみたいと思います
色々と考えてまず初めに思うのは『自分の内側の変化』です
起こった出来事に対し、受け取り受け止める側の『自分の内側』に何らかの変化変容があった、、
それは『自己肯定感』の再確認による復活だったのではないでしょうか
卑屈になって視野が狭くなると、正しい判断が出来なくなります
自分に自信を持てなくなり『自己否定』や『被害妄想』などのネガティブな発想に取り憑かれます
そんな状態では、どんなシュチュエーションも全てバッドエンドに持っていかれがちになります
『自己肯定感』は自分を認めて誇らしく思う気持ち
自分の全てを受け入れ、受け止め、信じる気持ち
信じるから安心して任せられるし
信じてもらえてるからほっとして優しい気持ちになれる
誰とダレの話かというと、それは『人間の自分』と『高次の自分』です
私は、この二人の自分の信頼関係を築くということが『自己肯定感』の肝なのではないかと感じています
そして『自己肯定感』は全ての基礎、基盤、土台となるもの
ここが弱く小さく不安定だと、その上にどんなに素敵で立派なものを積み上げても、すぐに揺れて崩れ落ちてしまいます
逆に、ここが強く大きく安定していると、どんな気持ちも、状態も、しっかり積み上げられ、全てを自分自身の糧として、強みとして、持つことができるようになります
『自己肯定感』がしっかり確立されていれば、卑屈な気持ちさえもはね返し無効化したり、ポジティブに変換することだって可能になるのです
更に進むと『視点の変化』と『視野の拡がり』が加わり、物事を俯瞰的に捉えることが出来るようになっていきます
何だか少し他人事のように、一歩引いて冷静に観察する感覚です
そうなると、感情的になったり、損得勘定で変に頭を働かせたりすることなく、今この瞬間の最善策を思考することが出来るようになります
気分が落ち込み波動が下がっている時は、その事にさえ気付けない程、周りが見えなくなってしまいがちです
でも、高次の自分は常に、人間の自分に色々なサインを送ってくれていて、正しい方向に軌道修正する為のヒントを与えてくれています
たまたま目に付いた看板の文字、聞こえてきた言葉、何気なく開いた雑誌の情報、Youtubeのオススメで上がってきた動画、、そういうものにメッセージやヒントが盛り込まれています
意味も分からず突然湧き上がる、直感、感情、衝動も同じです
そういう、自分に起こる全ての出来事に対し、素直に反応して、抵抗せずに受け入れる
私は、それも一つの『自己肯定』なのだと思っています
そして、その積み重ねが『自己肯定感』に繋がっていくのだと感じています
『自己肯定感』を極められたら、生き方が相当変わってくるような気がします
とりあえず、また同じように自分の中に卑屈な思いが湧いてきたら、今回の事を思い出し、素早く対処し解決できたらいいなと思っています