私の『週末の家』はいわゆる『古民家』です
築年数は推定80〜90年といったところでしょうか
梁や柱は太くて立派ですし、屋根もしっかりしています
とは言え、やはり古いだけあって修繕しなければいけない箇所は多々あります
そして、開放感のある広々とした平家は、それ故に掃除が大変です
半分くらいは勢いで購入してしまったこの物件
これからの事を『大変』と捉えるか『喜び』と捉えるかによって、随分感覚が変わってくるように感じています
この『大変』と『喜び』ですが、今のところ私のもとに交互にやって来ています
差し当たりやらなければいけない事を思考し始めると、あれもこれもとどんどん考えが膨らんでしまって、それだけで”どへーっ”と疲れてしまいます(笑)
そんな時の私は、少し殺気立って、顔つきが変化するらしいんですよね
自分ではよく分からないのですが、、
主人は、私のそれに気がつくと、すぐに声を掛けてフォローしてくれます
変に悪化して爆発する前に、うまい具合にガス抜きしてくれる感じで、私はとても有難いなぁと思っています
主人曰く『君のその状態を放置すると、結局自分に被害が及ぶから』『いわゆる一種の自己防衛』なのだそうです
それを聞いてしまうと、若干複雑なんですけど、、
私たち夫婦はいつもこんな感じです
『大変』の思考に支配されて、弱っている事を自覚できる時は、自分で思考の切り替えをします
ここは『週末の家』、、、
ここで生活する訳では無いのだから、全てを完全に完璧に修繕しなくてもいいし、その期限だって無い
やりたい時に、やりたい事を、やりたい様にやっていい場所なんだ、と
疲れてたり、気乗りしない時は、のんびりモードでただそこでぼーっとして過ごしたっていいし
掃除したり、修繕したりするのが楽しいモードの時は、遊びの気分で楽しめばいい
そして、何もかもが自由なんだと腑に落ちた瞬間『大変』の思考はどこかへ吹っ飛ばす事ができちゃうんですよね(笑)
目の前の事象は変わらないのに、思考の方向性によって、本当に住む世界が変わってしまうのだという事を、深く体感する瞬間です
今日は仕事が休みだったので、いつもの出勤時間より少し早いくらいの時間に家を出て、一人で『週末の家』のお掃除をしてきました
『週末の家』までは自宅から車で30分程で、気軽に足を運べるのが嬉しい距離です
今日のお掃除は、軽めに2時間程度だけで終了しました
本当はもっと滞在していたかったのですが、別の予定があったので仕方なく、、
この『週末の家』のワクワク感が、過去に味わった何かに似ている気がして記憶をさかのぼってみると、子どもの頃にこっそり作った秘密基地に似てるんだってことに辿り着きました
大人になった今、再び手に入れることになった『秘密基地』
それを使ってどんな楽しいことをしようかと思考している瞬間は、現状を『喜び』で捉えられているときです
『大変』と『喜び』は裏と表の関係です
どっちが良くてどっちが悪いという類のものではなくて、どちらも同時に存在しているということ、なんだよなぁ、、
今日はそんなことを思いました