相手の気持ちを察するって、難しいですよね
家族とか深く知り合えている仲間ならまだしも、あまり関わったことのない相手のこととなると、本当分からない
私の場合は特に、ぼーっとしていて抜けているので、家族とのやり取りですらトンチンカンな行動を取りがちなのに、
そんな私が、相手のことを察して良かれと思って何か行動を起こしても、結構な確率で失敗しがちです
私の事をよく分かっている知人なら、私のポンコツっぷりをある程度理解してくれているので、変な行動を取ってしまっても『いつものこと』と苦笑いでスルーしてくれます
そんな時は、申し訳なく思いつつ少しほっとします
ちなみに私、中身はこんなポンコツなのに、謎にしっかり者に見られてしまうことがあって、初対面とかでは特に、実際の私とは真逆の印象を持たれてしまう事が多く、それによる苦労っていうのも色々あります
だからこそ私は、いつでもどこでも『ありのままの自分』で『自然体』でいることを心掛けています
自分の全てを曝け出すこと
それってとても勇気がいります
だってそれを否定されてしまったら、もう逃げ場が無いように思えてしまうから
だからでしょうか、人は自己保身の為なのか、無意識に自分をより大きく、より素敵に見せようとしてしまうのかもしれませんね
最近つくづく思うのは、自分のことや、自分の意見を理解してもらいたければ、言葉できちんと伝えなければ伝わらない、ということ
相手の気持ちを察するのが難しいといと言いながら、自分の事は何も語らなくても察してほしいなんて、無茶苦茶ですからね
伝えたいことがあるなら、それを伝える努力をしなければ
ただ待っているだけでは何も起こらないのだということを、しみじみ感じます
お互いに腹を割って本音をぶつけ合わないと、本物のコミュニケーションは生まれない
『本音をぶつけ合う』なんて表現をすると、まるで争いごとでも起こりそうな、物騒な感じに捉えてしまう方もいるかもしれませんが、本物のコミュニケーションというのはそんなものではありません
お互い何も飾らずにありのままでいるとき、それはきっと極上のリラックス状態です
本物のコミュニケーションって、実はものすごく心地の良いもの
それはお互いにとって最高に安心できる、とっておきの場所なのだと思います
誰かとコミュニケーションを図ろうとするときの自分の心を観察してみてください
緊張、コントロール、損得勘定、、
そのようなエネルギーが働いているとき、それはきっと本物のコミュニケーションではありません
それはきっと、交渉や取引などの延長上にあるもの
ただ誰かとの関りを持ったというだけのことです
本物のコミュニケーション、それはつまり魂の交流であり、リラックスであり、心地よさや多幸感なんです
自分自身を開放し、全てを曝け出した状態でお互いを受け入れ合うとき、互いの魂は共鳴し合って響き合う
そこで味わう本物の喜び、それが本物のコミュニケーションです
まずは自分がリラックスしていること
そしてありのままの自然体で、嘘のない言葉を伝えること
簡単だけど難しく、難しいけど単純で簡単
本物のコミュニケーションとはそういうものだと思っています