ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

本物のコミュニケーション

 

相手の気持ちを察するって、難しいですよね

家族とか深く知り合えている仲間ならまだしも、あまり関わったことのない相手のこととなると、本当分からない

私の場合は特に、ぼーっとしていて抜けているので、家族とのやり取りですらトンチンカンな行動を取りがちなのに、

そんな私が、相手のことを察して良かれと思って何か行動を起こしても、結構な確率で失敗しがちです

 

私の事をよく分かっている知人なら、私のポンコツっぷりをある程度理解してくれているので、変な行動を取ってしまっても『いつものこと』と苦笑いでスルーしてくれます

そんな時は、申し訳なく思いつつ少しほっとします

ちなみに私、中身はこんなポンコツなのに、謎にしっかり者に見られてしまうことがあって、初対面とかでは特に、実際の私とは真逆の印象を持たれてしまう事が多く、それによる苦労っていうのも色々あります

だからこそ私は、いつでもどこでも『ありのままの自分』で『自然体』でいることを心掛けています

 

自分の全てを曝け出すこと

それってとても勇気がいります

だってそれを否定されてしまったら、もう逃げ場が無いように思えてしまうから

だからでしょうか、人は自己保身の為なのか、無意識に自分をより大きく、より素敵に見せようとしてしまうのかもしれませんね

 

最近つくづく思うのは、自分のことや、自分の意見を理解してもらいたければ、言葉できちんと伝えなければ伝わらない、ということ

相手の気持ちを察するのが難しいといと言いながら、自分の事は何も語らなくても察してほしいなんて、無茶苦茶ですからね

伝えたいことがあるなら、それを伝える努力をしなければ

ただ待っているだけでは何も起こらないのだということを、しみじみ感じます

 

お互いに腹を割って本音をぶつけ合わないと、本物のコミュニケーションは生まれない

『本音をぶつけ合う』なんて表現をすると、まるで争いごとでも起こりそうな、物騒な感じに捉えてしまう方もいるかもしれませんが、本物のコミュニケーションというのはそんなものではありません

お互い何も飾らずにありのままでいるとき、それはきっと極上のリラックス状態です

本物のコミュニケーションって、実はものすごく心地の良いもの

それはお互いにとって最高に安心できる、とっておきの場所なのだと思います

 

誰かとコミュニケーションを図ろうとするときの自分の心を観察してみてください

緊張、コントロール、損得勘定、、

そのようなエネルギーが働いているとき、それはきっと本物のコミュニケーションではありません

それはきっと、交渉や取引などの延長上にあるもの

ただ誰かとの関りを持ったというだけのことです

 

本物のコミュニケーション、それはつまり魂の交流であり、リラックスであり、心地よさや多幸感なんです

自分自身を開放し、全てを曝け出した状態でお互いを受け入れ合うとき、互いの魂は共鳴し合って響き合う

そこで味わう本物の喜び、それが本物のコミュニケーションです

 

まずは自分がリラックスしていること

そしてありのままの自然体で、嘘のない言葉を伝えること

簡単だけど難しく、難しいけど単純で簡単

本物のコミュニケーションとはそういうものだと思っています