私の楽観的な予想は見事に外れた
次の日も、また次の日も、娘は学校に行くのを拒み続けた
何故学校に行けなくなったのか
話を聞く感じでは、決定的原因になるような大きな出来事があった訳ではなさそうで
その理由は、娘本人にとっても上手く言語化できない、漠然とした不安や葛藤から来ているもののようだった
……
娘はどちらかと言うと大人しく優しく静かな性格
小学生時代からずっと目立つタイプではなかったけれど、先生には褒めてもらうことは多かった
人知れず教室や部室の片付けをしていたり
部活内でちょっとしたイジメのようなトラブルがあった時も、娘一人だけは関与していなかったり
不登校のお友達の家に毎朝通って声掛けをしていたり
そんな、地味だけどほっこりするエピソードを、学校の面談の時に先生から聞かされて驚く!的なことがよくあった
一方で、心配という程の事ではないが、自分の意見を主張したり押し通したりという強さは少ない子だった
一人で何かを決断することが苦手で、まだ自分という軸が確立されていないんだなという印象
子の教育に関しては、私と主人共通のスタンスがあるのだけれど
それは『自由』と『自立』と『誠実さ』
子には思考や行動にあまり制限をかけず、自由であって欲しいと願っていて
そして、自分の軸をしっかりと持った自立した人間に育って欲しいという想いがあった
この『自由』と『自立』のバランスに『誠実さ』を加えたものを心に宿した人間であって欲しい、そう願いながら私達は子育てをしていた
……
そんな中、娘に起こった今回の出来事
娘の漠然とした不安や葛藤は、自分の中の『自由』と『自立』を確立する為の何か通過儀礼のようなものなのかもしれない、、
いずれ、何かしらの変容を迎える為の、避けては通れない道のようなものなのではないか?と思えた
その途端、こんな時親が出来ることは、娘の成長のタイミングをただ見守ることだけなのだな、という感覚が生まれた
諦めのような、肝が座るような、何かしらの境地に辿り着いてしまったような、不思議な感覚が心に芽生えた