ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

注意されるということ

 

大人になり歳を重ねると、何か間違いやおかしな行動をとっても、わざわざ注意してくれる人は少なくなっていく

 

自分だってそう

自分の子や主人など、身近な存在になら説教みたいなこともできるけれど、他の人にはそんな事滅多にしないし、できない

だから、そういう言いにくいことを言ってくれる人は、本当に大切にしたいと思っている

 

だって嬉しいじゃない

注意するのは、その相手に変わって欲しいから

本当にその人のことを考えているから

それってつまり『愛』なのだと思うもの

 

そして、もう一つ嬉しいのは、注意してもらえた自分のこと

関心が無かったら、きっとわざわざ注意したりしない

言っても無駄だと思う相手には、きっとわざわざそんなことしない

誰かに注意してもらえるってことは、自分の今の状態を現わしている

誰かの愛や優しさを、素直に受け取れる器があると、そう判断してもらえたってこと

 

私に関心を持ってくれて、ありがとう

私に愛を注いでくれて、ありがとう

私を認めてくれて、ありがとう

私を信じてくれて、ありがとう

 

 

赤ちゃんいる

 

子どもが胎内記憶を語り出すっていう不思議エピソード、よく聞きますよね

赤ちゃんが誰もいない方向に向かって一生懸命お話ししてる姿も、当たり前によく見かけますし

子どもたちが小さいうちって、見えない世界との繋がりがあって、大人には見えなくなってしまった何かをキャッチする能力が残っているのでしょうか、、、

 

……

 

これは、もうずいぶん昔の出来事

上の娘が2歳になったばかりの頃のおはなしです

 

何でもないある夜、娘が私のお腹を指差して

『赤ちゃんいる』

と、一言つぶやいたんです

 

その頃私たち夫婦は『そろそろ二人目に恵まれたらいいね』なんて会話をよくしていて、結構『赤ちゃん』を意識していました

だから私たちはすぐに『!!!』と反応してしまって、主人と顔を見合わせました

鳥肌が、ゾワ~です

少し動揺しながらも、もしそうだったらめっちゃ嬉しい!と期待に胸膨らませ、とりあえず薬局から妊娠検査薬を購入してきてテストしてみることにしました

 

結果はなんと『陽性』

 

更に大きな鳥肌がゾワゾワ!!ゾワゾワが止まらない!!!

娘には一体何がどのように視えているというのでしょう

興奮気味に色々質問してみましたが、あまり詳しく聞き出せず

てか、2歳になったばかりの子どもですから、そもそもそんなに語彙力も無く、私に色々質問されても困った様子の娘ちゃん、、

あの時は少し困らせちゃってごめんね、です

 

で、後日ちゃんと病院で診察してもらい、本当に二人目を授かったというお墨付きをいただきました

 

ちなみに、つい先日もう一度娘に確認してみましたが、当時の記憶は全く無いとのことでした

しかし、娘のその後の様子を見ていると、やはり何かしらの霊感的なものが少しありそうな印象です

金縛り的な体験とか、不思議な夢体験とか、UFOらしきものを目撃したりとか、色々あるっぽいので、これからが楽しみ?です

 

それにしてもあの時はびっくりだったなぁ~

今振り返っても、あの時感じた、言葉にするのが難しい独特の感覚が蘇ってきて興奮します

娘のお陰で面白い体験ができました

ありがとう、娘

 

 

 

10年日記

 

先日、娘が何やら日記のようなものを書いているのを目撃しました

それが何だか微笑ましくて、、

夏休みに入ってからは、部活に、勉強に、お友達との時間にと、忙しいながらも充実した様子の娘

その瞬間の気持ちを、日記に閉じ込めたいと思ってのことなのかしら、、

母は勝手な妄想を膨らませつつ、成長を感じてほっこりするのでした

 

……

 

そんな私も、実は毎日日記を書いています

私は『10年日記』というものを使っていて、今年でかれこれ17年目になります

その10年日記は、1ページが同じ日付で10年分書けるような作りになっていて、1日分のスペースは3行程度

だからさらりと書き込めて、続けることが負担にならないので、私にはとても合っていると感じています

ちなみに、それよりも前は1年1冊の普通の日記帳を使っていて、毎日じっくり?書き込んでました

でも、結婚して子供ができてからはそんなにじっくり時間を掛けていられなくなり、今のスタイルに落ち着きました

 

一日の終わりに日記を書く

限りあるスペースに、その日の出来事や気持ちをギュッと詰め込む

その行為が、自分の事を客観視して振り返るのに丁度良く、しかもそこで意識の調整がなされているようにも感じています

 

10年日記を使っていると、それぞれの年の同じ日に何があったかがすぐに目に飛び込んでくるので、自分の成長や変化を感じ取れ、時々しんみりできたりします

そして、自分の書く文字の変化が面白いです

心の状態とかエネルギーの状態によって変化があるのが見て取れます

 

日記用の筆記用具としては、ずっと同じ万年筆を使っています

その万年筆、ずっと同じカラーのインクを使っているのに、ある時期だけ色が明らかに違う部分があったりするんです

それが、たまたまなのか、大きな事件があって私の心に大きな変化が起こった時期とリンクしたりしていて、、

もしかして、エネルギーの変化が現実世界に影響を及ぼしてる??とか勝手な妄想を膨らませては一人で盛り上がり、こっそり楽しんだりしています

 

時々、過去の日記の何気ない一言に驚愕する事があります

軽いタッチで書き込まれた『○○が欲しいな~』とか『○○にならないかな~』とか『○○だったら最高!』的な言葉

それが時を経て、その通りに願いが叶ってるのに気が付くときがあるからです

結構、荒唐無稽な無茶な内容までもが現実化したりしていて、、

そんな時は改めて、思考や発言や書き出すことのパワーを思い知らされます

日記をアファメーションのツールとして考えたり使ったりしていた訳ではなかったのですが、普段の何気ない思考がどれ程現実化に繋がっているかの答え合わせができるのは、少し面白いなと感じました

 

それから、私は時々不思議な夢を見たりするので、特に印象に残る夢を見た時にはメモがてら日記に書いたりもするのですが、その時はよく分からなくても後になってから意味が分かって、『あぁ~!』となったり『ぞわわ~』となったりすることがあります

そういう振り返りにも、何気に役立っています

 

毎日たった3行ずつの日記でも、それが積み重なり17年分の記録となると、それは結構な財産となるように感じています

継続は力なり

塵も積もれば山となる

、、、ですね

 

 

僧侶と少女

 

前世とか輪廻転生とかが、あるとかないとか、信じるとか信じないとか、、

私はその辺あまり詳しくないのでよく分かりません

よく分かりませんが、主人と私の間には不思議な共通認識?があります

 

……

 

主人は私の5つ歳上

穏やかな優しい性格で、精神的な安定感と安心感を持った人です

主人に対して私が日々感じているのは、尊敬と感謝

本当に私にとって大切な存在です

 

、、て、ノロケみたいになっちゃってますが、お伝えしたいのはそういう事ではなく、、

 

主人と私の関係については

恋愛対象とか、恋人同士とか、そういうワクワクの時期も確かにありましたし

夫婦になって、親になって、一緒に子育てをして、、

どこにでもいる普通の中年夫婦

それ以上でも以下でもないです

が、、、

精神的に、何故か常に感じる感覚がありまして、、

 

それが

チベット系の寺院にいる年老いた僧侶』

『孤児として拾われ育てられている幼い少女』

なんです

 

何かね、情景が浮かんでくるし、ビジュアルが視えてくるんですよね

とても不思議なんですけど、私の中ではそれがしっくりくるんです

 

私の中では、主人ってそういう存在なんです

パートナーとかいう感じとは少し違って、命の恩人的な、保護者的な、恩師的な、、

それは尊敬だし、感謝だし、愛なんです

そして私は主人の前ではまるで年甲斐もなく、よく言えば少女のようにピュアな気持ちに、悪く言えば子どもっぽく我儘で、少々おバカになってしまうんです

 

主人にこの話をしたところ、妙に納得出来ると言ってました

あながち間違ってない気がすると、、

 

 

前世の記憶とか、そういうことはやっぱりよく分からないですが、、

主人に対し、勝手に僧侶なエネルギーを感じているという、謎なおはなしでした、、

 

 

体が資本

 

私、最近調子がいいわ!なんて思えているときは、実は要注意だったりします

自分の調子の良さを過信して、ついつい頑張り過ぎたりしがちだし

そういう時は大抵バイオリズムのピークを過ぎてしまっているから、急にドーンと落ちがちで本当に危険なのです

 

……

 

そういえば最近食欲は落ちていたし、夜も寝付けなくて寝不足が続いていました

片頭痛を薬でねじ伏せたり、中々取れない疲れを引きずったまま、朝が来れば反射的に通勤してるといった感じでした

この状態だけで十分危険信号は出ていたのに、本当にやばい時ってそれにも気が付かないの、、怖いです

むしろ、こんな状態なのに何故か『私、最近調子がいいわ!』なんて思っていました

今思うと、え?なんで?って感じ、、謎過ぎます

 

そのうち心が落ち着かなくなり、何だか意味も無く不安になったりで、SNSとか何度も何度も見てみたり、YouTubeとかずっとずっと視聴していたり、、

心が疲れているとゆったり落ち着いて休むことが出来なくなり、むしろ動き続けようとしてしまうの、、本当怖いです

 

そして今日、出先で知り合いのママ友さんに会って少し言葉を交わした後に、何だか得体の知れない謎の被害妄想に襲われて、、そこでやっと気が付きました

『なんか知らんけど、メンタルがやばいことになってるゾ、、、』

 

心と身体は繋がっているから、どちらかのバランスが崩れるともう一方もおかしくなる

普段から『心と身体のバランスを大事に整えるのよ』なんて、そんな話をいつも子ども達に向けて話していた私が、こんな状態になっちゃって、一体何の冗談なのかといった感じです

 

身体からの疲れのサインを甘く見てはいけない!

意識がどうとか、エネルギーがどうとか、そういうのも大事ではあるけれど、まずは『体が資本』だよ!

そんなメッセージを突き付けられ、完全ノックアウトの私です

 

この現実世界を充実して生きられるのは、健康な身体があってこそ、です

そんな大事な当たり前を、私は少し忘れていたようです

我ながら、本当にお恥ずかしいおはなしです

 

とりあえずは初心にかえり、自分の身体を大切に扱ってあげるところから始めようと思います

 

 

人生とは

 

『人生は修行だ』と言う人がいます

かつては私もそう思っていました、、、

 

人生とは何か、かつての私にとってそれは、永遠のテーマと言えるほど心を占めるものでした

でも、今改めて振り返ると、私の『人生』に対する価値観が、徐々に変化していった事に気が付きます

 

……

 

人生とは何かについて考えられるような年齢になった頃の私は、『人生は苦行である』と感じていました

まぁまぁ辛めの現実に苦しんでいた時期であり、家族などの身近な存在を見てもそんな状態でしたから無理もないか、と思います

どんなに頑張っても苦しみからは逃れられないし、頑張る事自体苦しみだし、、それってもう、全て苦しみじゃん、、的な

『苦しみこそが人生』そんな価値観の中よく生きてたな〜と、、今思い出すだけで切なくなります

 

てか、この頃の私の波動が重過ぎて辛い、、

この頃、身動きが取れない不自由さを常に感じていましたが、これだけ波動が重かったら無理もないなぁと、今更ながら納得です、、

 

 

次に私は『人生は修行である』と考えるようになります

人は皆人生を懸けて自分の未熟な部分を鍛え直している、と

完全な状態が『神』であるなら、不完全な状態が『人間』なのではないか、と

完全な状態を目指し修行する場こそが、この現実世界なのではないか、と

 

いやぁ、まだまだ波動が重いです

何ておマゾさんなんでしょうかと、ツッコミを入れたくなります

修行、、したかったんでしょうね、この頃の私は

自分を自分で追い込んで、ストイックに突き詰める、的なコトをしたかったんでしょうね

まぁ、今となればそれもまたいい経験でした

大変だったと思うけど、よく頑張りましたね!

まるで他人事のようですが、過去の自分に対しては、今の自分とは別のパラレルの自分として、個別の個体として扱うような感覚があり、どうしてもこのような感覚になってしまいます、、

 

 

その後私は『人生とは経験と学びの場』と考えるようになっていきます

波動的には『修行』と考えていた頃よりもぐっと軽くなりました

基本的な価値観が大きく変化したんです

それまでは『〇〇でなければならない』『こうあるべき』という思考の檻に閉じ込められていたという感覚です

その檻には初めから鍵なんかはかかっておらず、何なら自分から望んで中に入ってた訳なんですけれども、、

やっとそのカラクリに気付き、恐る恐る檻の外に出てきたのがこの頃です

 

思い込みの枠を取り払い、フラットな心でただありのままに世界を観る

そういった視線で世界を観察し始めると、今までにないものの見方や感じ方が自分の中に生まれ始めました

『何事にも善い悪いのジャッジなど存在しない』

『ただその状態や経験があるだけ』

 

この辺から、自分の波動がやっと軽くなり始めました

何にも縛られない自由さが心に余裕をもたらしました

色々な人や、過去の出来事や、過去の自分に対して『ゆるすこと』『認めること』が勝手に発動し、自動的に『浄化』が進んでいきました

 

 

やがて私は『人生とは楽しくて素敵なこと』と心から感じられるようになっていきました

どんなに最悪な現実が襲いかかろうとも『ピンチはチャンス』『すべて善きこと』『すべてはうまくいっている』のスタンスで乗り切れるようになっていきました

 

もちろんそれなりの動揺や苦しみや絶望感は感じますし、泣いたり怒ったり、ボロボロになって体調を崩したり、そこは普通にあります

それはこの現実世界に生きる人間として当たり前の反応です

『感情を揺らしちゃダメ』なんて考えたりはしません

むしろ本能のままに、自分の中から湧き上がる感情を全てむき出しに開放するイメージです

その全てにジャッジすることなく受け止め、受け入れてあげると、どこかでフッと視点が切り替わり『私、今、こんな風に感じているんだ、、』的な俯瞰した視点が生まれます

そのときの自分は、現実世界から少し離れた軽い場所に移動しているかのような感覚です

地に足がついていない、フワフワした感じ

自分の身の上に起こっているはずの現実を、まるでドラマか映画をスクリーン越しに観ているような、そんな不思議な感覚です

 

 

そして今現在の感覚がこちら、、『人生は自ら創造するもの』です

ここでいう『自ら』とは『人間のわたし』というよりは『ハイヤーセルフのわたし』

ていうか、厳密にいうと『人間のわたし』と『ハイヤーセルフのわたし』との共同創造のことです

 

創造のプロセスは

①『人間のわたし』が望みをオーダーする

②それに応じて『ハイヤーセルフのわたし』が現実世界を創造する

簡単に言うとこれだけ、、実にシンプル

※現実世界への現れ方は『人間のわたし』が考え付く範囲の斜め上の出来事として起こりがちなので、オーダーのしかたをこだわり過ぎないのがコツ

 

 

これらの経験を通して、改めて『人生とは』と考えるとき、

それは自分が今いるステージによって答えが変わるものだということを感じます

そのどれもが正解ですし、上とか下とか、善い悪いの区別も当然ありません

 

今、自分にとっての人生をどのようなものにするかは、きっと自分次第です

自分をどのステージに置くかは、きっと自分次第です

自分が、自分の人生の舵取りをしているのだと、責任をもって自覚する時、見えてくる世界がきっとあるように思います

 

 

現実世界を人間として体験するゲーム

 

人生には、時々思いもよらないミラクルが発動することがあります

 

遠い昔に思い描いていた夢や願いが、長い時を経て、思いがけないタイミングで叶ったり

何も考えずただ流れに任せて行動した事が、後々になって大きく活かされる事になったり

大失敗で窮地に追いやられ、そこで味わった経験が次に繋がって、大逆転の大成功に転じたり

 

そんなミラクルがが起こる度、私は『現実世界を人間として体験するゲーム』の管理人であるもう一人の私、ハイヤーセルフに拍手を贈ります

 

『ブラボー!』

『いつも素敵な演出をありがとう!』

『さすが!私のハイヤーセルフ!』

 

……

 

『現実世界を人間として体験するゲーム』とは私たちの人生のこと

ハイヤーセルフ』とは高次の自分のことです

『現実世界を人間として体験するゲームの管理人がハイヤーセルフだ』ということは、つまり、自分に起ることの全ては自作自演だ、ということ

 

高次の私が分霊して、人間の私となり

舞台となる現実世界の設定は、お好みでカスタマイズが可能

全てを忘れた状態から始まるゲーム

たくさんの体験を通して成長を楽しむゲーム

私は、この世界にそんなイメージを持っています

 

私たちは誰もが皆、元々は神様みたいな高次の存在

本当は全て知っているし

本当は全て創造できる

本当はそんな大きな力を持っている

というか、自分の現実世界を創造した存在こそが自分自身であって

それは、この世界の『創造主』と言い換えることもできる、、、

 

そんな中、私たちはあえて『現実世界を人間として体験するゲーム』をプレイしているのだということ

このカラクリについて理解しようとするとき、私たちの視野は高くなり全てを見渡せる位置に出ます

 

私という存在は、『人間』や『ハイヤーセルフ』など、次元の異なるいくつかの自分が重なってできています

全てが繋がっていて、同時に存在しています

そのことを理解していれば、意識の場所を切り替えて、それぞれの階層から世界を眺める事も可能となります

 

『現実世界を人間として体験するゲーム』の楽しみ方は大きく2つ

このゲームの中に入り込んで、ゲームの主人公として楽しむことと

ゲームの外側に出て、ゲームを操作して、プレイヤーとして楽しむこと

その時々で自らどちらかを選択し、遊び方や楽しみ方を自分で決めることができるなら、更にゲームの面白さの幅が広がります

 

神のような完璧な存在が、何故わざわざこんなゲームをするのか?

それはそれほどの魅力があるからです

それはそれほどの価値があるからです

 

このゲームを、自分が望んで始めたということ

今は思い出せなくても

心が軽くなり、波動が軽くなり、本来の自分を取り戻すとき

きっと全てを思い出せます