ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

娘の不登校⑤

 

そのうち娘は、少しずつ学校に登校することができるようになっていった

一日数時間程度、保健室や別室への登校ができるようになっていった

 

この頃には、娘にとっても私にとっても、もう元の状態に戻ることが目標では無くなっていた

毎日を如何に充実した気分で過ごすか、そこを一番に意識する

そして『生きることの幸せ』について、その根本に目を向けて過ごすことを心掛けるようになっていた

 

娘は次第に元気を取り戻し、その顔には笑顔が戻っていった

 

元々お菓子作りや料理が好きだった娘

自主的に毎日の夕飯を作ってくれるようになった

初めから上手だった訳ではないけれど、回数を重ねる毎にコツを掴み、手際良く作れるようになっていった

 

学校には相変わらず時々通う程度

だけど自宅で取り組んだ美術の作品で賞を受賞するなど、頑張ったことへの評価も貰ったりして、学校との繋がりも楽しんでいるようだった

 

娘は娘なりのペースで成長をしている

他の一般的な生徒達とは違うスタイルで

それはいたってシンプルなこと

ただそれだけのこと

 

不登校』については、娘も私もそんな認識で捉えるようになっていった

そして、謎の後ろめたさや罪悪感は、ほとんど消え去っていった

 

娘の不登校④

 

娘の不登校に対しては、気を抜くとすぐに世間の目を気にする気持ちが湧いて来た

 

学校に顔を出して先生と話をするとき

『早く学校に普通に登校出来るように戻るといいですね』

なんて言われたりすることがあったが

まるで学校に通えないことが普通じゃないと言われてるように感じられ、責められているかのような被害妄想が湧いてしまうこともあった

そして心に余裕がない時は、自分や娘が『社会不適合者』と位置付けられてれているかのような、悲しく辛い気持ちになったりもした

 

だけど気持ちを切り替えて、娘や自分に対し自信と誇りを持つときは

しっかりと自分の気持ちに向き合って、自分を知ろうとして頑張っている娘のことを素晴らしいと感じることができたし

今娘が笑顔でいてくれることが、何より大切にすべきことであり、この選択は何一つ間違っていないと確信できた

 

……

 

実は娘が学校を休み始めた頃に、覇気のない表情の娘が『死にたい』と呟いたことがあった

私にはその事がそれなりにショックで、それなりに悲しかったし、娘の苦しみが伝わってきて苦しかった

そしてその時にパッと目が覚めた

 

もしも娘が学校や世間で、優秀だ!素晴らしい!と評価をされていたとしても、本人の心が死んでいたら何の意味も価値も無い

 

逆に、誰かに評価されなくとも、世間に受け入れられなくとも、本人の心が輝いていたなら、それこそが本当に価値のあることなのではないかと

 

そんなことを改めて自覚してからは、『不登校』を特別なものとして扱う気持ちが、私から無くなっていった

 

娘には娘の生き方があるし、私には私の考え方がある

常識という型にはまらなければならないというルールなんて初めから無かったのに

そんな手枷足枷を自分で自分に施していたんだなぁ

 

娘の不登校を通して、私の意識に更なる変化が加わってゆく

 

娘の不登校③

 

とは言ったものの、不安や恐れも同時にやって来る

 

これから娘と共に踏み込む未知の世界

不登校』という選択のその先にある未知の世界

それに対する不安や恐れは、波のように大きく小さく、繰り返し繰り返し襲いかかった

 

『娘の不登校』という出来事は、それぞれの中にある取り組むべき課題にメスを入れ、それに向き合うことを余儀なくし、突きつけてくるようだった

 

娘には娘の、乗り超えるべき、取り組むべき課題がある

それは自分の軸を確立することかもしれないし

失敗を恐れず信じた道を選択する勇気かもしれない

常識の枠を超えてみる経験かもしれないし

ただゆっくりと休養をとる必要があったのかもしれない

 

これはあくまで娘自身の課題なので、最終的には本人の力で乗り超える必要がある

下手に手を貸してしまったら、逆に魂の単位がもらえなくなってしまう可能性がある

本人の意思で行動し、未来を切り開くことが重要となる

 

そして私にも私が乗り超えるべき、取り組むべき課題があり、今回それに強烈に向き合わされることとなっているのを感じていた

 

私の場合は、取り組むべき課題というよりは、どうも最終試験的なことが起きているような気がしてならなかった

これまで、人生での色々な経験から感じたり学んだりしたことを、自分の腹に落としてきた

そうして育んできた様々な独自の信念を、現実世界でしっかりと活用出来ているかを試されている

そんなことが起こっているような気がして、いよいよ自分のこれまでの変化を試す時が来たのだなぁと

感慨深く感じたりしていた

 

……

 

全ては相似象でありフラクタル

 

娘は、学校に通うという一般常識の枠を超えて、今自分がどうしたいのかという心の声に対し純粋に向き合おうとしている

その行動を、他人の目や常識を基準とせず、本人の意思を尊重し受け止めようとするとき、私の中の鎖が解けていくのを感じた

 

娘に起こっている現実と、私自身のトラウマやインナーチャイルドに対する癒しが、絡み合いリンクしている

 

全く違ういくつかの事柄が、結びつき影響し合い、『現在』『過去』『未来』が同時進行で変化してゆく、癒されてゆく、そんな不思議な感覚を感じていた

 

娘の不登校②

 

私の楽観的な予想は見事に外れた

次の日も、また次の日も、娘は学校に行くのを拒み続けた

 

何故学校に行けなくなったのか

話を聞く感じでは、決定的原因になるような大きな出来事があった訳ではなさそうで

その理由は、娘本人にとっても上手く言語化できない、漠然とした不安や葛藤から来ているもののようだった

 

……

 

娘はどちらかと言うと大人しく優しく静かな性格

小学生時代からずっと目立つタイプではなかったけれど、先生には褒めてもらうことは多かった

人知れず教室や部室の片付けをしていたり

部活内でちょっとしたイジメのようなトラブルがあった時も、娘一人だけは関与していなかったり

不登校のお友達の家に毎朝通って声掛けをしていたり

そんな、地味だけどほっこりするエピソードを、学校の面談の時に先生から聞かされて驚く!的なことがよくあった

 

一方で、心配という程の事ではないが、自分の意見を主張したり押し通したりという強さは少ない子だった

一人で何かを決断することが苦手で、まだ自分という軸が確立されていないんだなという印象

 

 

子の教育に関しては、私と主人共通のスタンスがあるのだけれど

それは『自由』と『自立』と『誠実さ』

子には思考や行動にあまり制限をかけず、自由であって欲しいと願っていて

そして、自分の軸をしっかりと持った自立した人間に育って欲しいという想いがあった

この『自由』と『自立』のバランスに『誠実さ』を加えたものを心に宿した人間であって欲しい、そう願いながら私達は子育てをしていた

 

……

 

そんな中、娘に起こった今回の出来事

娘の漠然とした不安や葛藤は、自分の中の『自由』と『自立』を確立する為の何か通過儀礼のようなものなのかもしれない、、

いずれ、何かしらの変容を迎える為の、避けては通れない道のようなものなのではないか?と思えた

その途端、こんな時親が出来ることは、娘の成長のタイミングをただ見守ることだけなのだな、という感覚が生まれた

諦めのような、肝が座るような、何かしらの境地に辿り着いてしまったような、不思議な感覚が心に芽生えた

 

娘の不登校①

 

それは突然始まった

ある日の朝、娘が学校に行きたくないと言い出した

何の前触れもなく、唐突に

 

身体の調子が悪いのかと尋ねると、どうもそうではないらしい

熱もなく体調も悪くないのなら休ませる訳にはいかないなぁ、なんて事を伝えて登校を促してみたけれど、その場に座り込んで動こうとしない娘

全く意味が分からずに困惑しつつ、まぁそんな日もあるかとその日はとりあえず学校を休ませることにした

 

この日を境に娘の不登校の日々が始まるなんて、まだ全然ピンと来てない私、、

 

だってそんな予兆、全く無かった

娘は勉強も部活も普通に頑張っていたし

友達とのトラブルも特に心配するレベルのものはなかったはずで

うまくいかない日もあれば楽しい日もある、そんなごくごく普通の中学生活を、私は母親として支えながら見守っていた

だから少し休んでリフレッシュしたら、またいつもの普通の日々に戻るものだと、何の疑いもなく思っていた

 

この時娘は中学1年生

やっと学校生活にも慣れてきたであろう、秋の日のことだった

 

希望の種

 

私たちは人生に希望の種を蒔く

そして沢山の実りや豊かさを手に入れる

 

まずは種の種類選びから

直感で選んでもいいし、よく調べて選んでもいい

種類を選んだ後、更にどの種にするのかより選別して、これだと思うものをピックアップする

確実に育ちそうな、強く美しい種を選ぶ

 

次に種蒔き

種を蒔く場所や時期など、決めるのは自分

種の種類によって適した環境は様々

種を蒔くのに適した時期も様々

タイミングが良ければすぐに発芽するかもしれないし、場合によってはいくら待っても芽を出さないこともある

もう駄目だと諦めて、その存在さえすっかり忘れていた頃に、人知れず芽が出ていることもある

 

そして育み

水やりをしたり肥料をやったり、良かれと思って手をかけ過ぎると、かえって貧弱に育つ場合もあるかもしれない

自然のままありのままに、強くたくましく育てるという考えもあるだろう

しかし見守りを怠ると風や虫などの環境に負けて、知らぬ間に折れたり弱ったりして、最悪枯れてしまう事もあるかもしれない

しっかり管理していても、台風や災害によりなす術なく駄目になってしまう事だってある

逆に、何もしなくても大きな問題もなく、順調に育つ場合もある

 

そうしてやっと迎える収穫のとき

実りを受け取る豊かなとき

 

それは色や形が美しい花かもしれない

それは香り豊かな花かもしれない

それは身体を癒す薬草かもしれない

それは料理に役立つハーブかもしれない

それは食卓を彩る野菜かもしれない

それは甘くて美味しい果物かもしれない

それは食事の基礎となる穀物かもしれない

それは丁度良い木陰を作る常緑樹かもしれない

それは天と地を繋ぐ御神木かもしれない

 

思い描いた通りの実りを受け取ることもあれば

願いが叶わない場合もあるし

思いがけない収穫物に驚くこともあるだろう

そして、こんなはずでは無かったと思えるネガティブな結果に辿り着くことだってある

 

 

私たちが日々当たり前に受け取っている現実は、いつかどこかで蒔いた一粒の種から始っている

たとえ覚えが無かったとしても、目の前に現れた現実は全て自分で蒔いた種

そして、現実を変え豊かさを手に入れたければ、希望の種を自分の手で蒔くことからでしか始められないということ

 

希望の種を蒔くことに制限は無い

自分自身に制限を作らずに、自由な発想で種蒔きをしよう

これから先の人生を実り豊かに彩るために

自分の望む豊かさを手に入れるために

 

インナーチャイルド

 

子どもの頃の私はとってもいい子でした

というか、いい子になろうと頑張っていました

親の言葉をよく聞き、反発せず、従って、常に褒められるような喜ばれるような行動を心掛けていました

 

いつからそんな思考になったんだろう

どうしてそんなに褒められたかったんだろう

 

当時の心情としては、親の顔色をうかがってビクビクしていた感覚は無く、自ら喜んでそれをやっていたという記憶

自分が親になり子どもを育てた経験があるから分かるけど、確かに子どもって親のことを純粋に好きだし喜ばせたいと思ってるものだよね

もちろん当時の私も普通に家族を大切に思っていたということなんだとは思う

ただ置かれた環境が特殊だった為に、何かが少しずつ歪んでいったんだろうなぁ

 

……

 

結論から言うと当時の私は『寂しかった』んです

そうそう、そういえば私とても寂しかったんだわ

最近は気にしたり思い出したりする事は少なくなったけれど、そこに焦点を当てた途端にリアルに蘇る当時の記憶、、

 

私は3人兄弟の3番目、兄が2人で末っ子の女の子

父にとっては待望の女の子だったらしく、まあまあ溺愛されてたような記憶があります

 

この流れからいくと、普通なら自由奔放に我儘に育ちそうなものだけど、、

(というか、兄達からすれば私は『我儘の権化』だと思われている可能性大なのだけれど、、)

実際には複雑な人格が形成されていきました

 

と言うのも

父は私が生まれてからほどなくして大きな病気になり、以降長い長い闘病生活が始まりまして

そして母は人生のほとんどを父の看病に捧げたという

そんな環境があったからです

 

もうここからはざっくり端折りますけれど

私は子どもながらに親にこれ以上心配掛けまいと気を遣っていたし

大変なの感じているからこそ迷惑掛けたくないと思ってたし

小さくて無力な子どもの自分に出来ることは、親が喜ぶいい子になって、少しでも安心させることだと思ってた、、

そんな感じです

 

やってる事自体は何も悪くは無いんですけども

むしろ当時の頑張ってる自分を、とても誇らしく思っているんですけれども

振り返ると、この頃から始まった自分自身によるインナーチャイルドに対する自虐的な扱いと、それに伴う欠乏感やら何やらがめちゃくちゃエグいことになってまして

 

この深い心の闇に光を当てないまま私は大人になってしまいました

自分が病気になって強制終了となるまで『いい子』をやり続けていたんです

その対象は自分以外の他者全て

親、友達、学校の先生、上司、同僚、夫、義母、自分の子どもに対してまで、、

自分以外の全てに対して『いい子』『いい人』であろうとしていたんだなぁって思います

それが正しい事だと思っていたし、そうやって自分を世界に捧げる事が正解なのだと思って、一生懸命取り組んでいました

 

そして、もうこれ以上ないという限界まで行ったんでしょうね

病気して強制終了になって一度全てが終わりました

そこからじんわり意識が反転し始めて、全く新しい生き方が始まりました

まさしく破壊と再生です

 

……

 

振り返ると大変だったなぁと思うけど、今とても幸せなので、それでオールOK!

少し前までは、過去の苦しみや悲しみが蘇ってきてしんどかったりもしたけれど

インナーチャイルドの癒しやトラウマの解消がだいぶ進んだと見えて、今では随分軽くなりました

思考を軽くすると心も軽くなる

 

そして心から幸せと思える今だからこそ言えることは、やっぱりこの人生で良かった!ということ

 

『すべてはうまくいっている』が実体験として腑に落ちるとき、幸せの扉が開くのだと思います