娘の不登校に対しては、気を抜くとすぐに世間の目を気にする気持ちが湧いて来た
学校に顔を出して先生と話をするとき
『早く学校に普通に登校出来るように戻るといいですね』
なんて言われたりすることがあったが
まるで学校に通えないことが普通じゃないと言われてるように感じられ、責められているかのような被害妄想が湧いてしまうこともあった
そして心に余裕がない時は、自分や娘が『社会不適合者』と位置付けられてれているかのような、悲しく辛い気持ちになったりもした
だけど気持ちを切り替えて、娘や自分に対し自信と誇りを持つときは
しっかりと自分の気持ちに向き合って、自分を知ろうとして頑張っている娘のことを素晴らしいと感じることができたし
今娘が笑顔でいてくれることが、何より大切にすべきことであり、この選択は何一つ間違っていないと確信できた
……
実は娘が学校を休み始めた頃に、覇気のない表情の娘が『死にたい』と呟いたことがあった
私にはその事がそれなりにショックで、それなりに悲しかったし、娘の苦しみが伝わってきて苦しかった
そしてその時にパッと目が覚めた
もしも娘が学校や世間で、優秀だ!素晴らしい!と評価をされていたとしても、本人の心が死んでいたら何の意味も価値も無い
逆に、誰かに評価されなくとも、世間に受け入れられなくとも、本人の心が輝いていたなら、それこそが本当に価値のあることなのではないかと
そんなことを改めて自覚してからは、『不登校』を特別なものとして扱う気持ちが、私から無くなっていった
娘には娘の生き方があるし、私には私の考え方がある
常識という型にはまらなければならないというルールなんて初めから無かったのに
そんな手枷足枷を自分で自分に施していたんだなぁ
娘の不登校を通して、私の意識に更なる変化が加わってゆく