自分自身が『愛』そのものに成る
何をもってそれが達成されたとするのか
何がゴールなのか
そもそもどこを目指したらいいのか
よく分からないながらも、また私の新しい実験が始まりました
それまでの人生があまりにも苦行過ぎて、私は疲労困憊していました
それも今にして思えば、全て自分で選択していたということになるのですが、、
自分の内面に目を向けず、外側の世界にばかりに気を取られていた当時の私は、常に自分の外側に『正解』を求めていました
『愛とは無償で与え続けるもの』的な考えと、『自分の外側に正解を求める姿勢』とが結びつくとき、私の中にある『愛のエネルギー』はどんどん自分の外側へと流れ出していたのでしょう
前回お話した通り私の『愛のエネルギー』は欠乏し、枯渇し、一度は空っぽに近い状態になりました
『愛のエネルギー』とはきっと、生命エネルギーに直結した根源的なエネルギーです
それが無くなるということは、つまり『死』です
確かにその頃の私はある意味死んでいましたから、、
と言うか、この時本当に一度何かが終わったのだと思います
一番深い闇の底に辿り着いたというか、、
地球のサイクルに当てはめると『冬至』に当たる場所に至った、と表現するのがしっくりきます
だとすると、その後全てが反転したかのようにひっくり返ったのも、自然の流れだったと言えるかもしれませんし、行くところまで行ってしまった私にとっては、もはやそうするしか為す術が無かったとも言えそうです
とにかく私はある意味自主的に、それまでしてきたことの全てをひっくり返すことにしたのです
『自分自身が愛そのものに成る』の実験も、実はそんな流れの一つとして始めたことです
さて、そうした経緯で始まったこの実験ですが、実際に私が取り組んだことといえば『とにかく自分自身を満たすこと』
シンプルにこの一言に尽きます
今までは他人中心に、いわゆる『他人軸』で生きてきましたから、その状況を単純にひっくり返し、自分中心に、つまり『自分軸』で生きる事にしたというわけです
相手にとって一番に考えて行動していた場面では、自分にとっての一番を選択し
相手を優先させていた場面では、自分の気持ちを最優先に考えて行動し
相手の気持ちを考えるよりも、まずは自分がどう感じているのかに注目し
相手の好みを調べるより、自分の好みや望みについて掘り下げる
初めのうちは謎の抵抗感や罪悪感が凄くて、逆に苦しかった記憶があります
それから『自分の望みが出てこない』ことに驚きと言うか、危機を感じたのを憶えています
それは誕生日プレゼントについての会話をしているときでした
他の誰かの喜びそうなものならいくらでも思いつくのに、自分のとなった途端に分からなくなってしまって、どうしても望みが湧いてこないんです
その時初めて異変を感じ、他にも考えてみたのですが、今食べたいものも、飲みたいものも、行きたい場所も、したい事も、、何も出てこない、、
その時はとてもびっくりしたし、とても悲しかったです
そんな状態からのスタートでした
スタート時の私はきっと『愛』とは正反対の位置にいたのかもしれません
だからこそ、今まで自分がやってきたことを単純に反対にするだけで全てが『愛』になってしまう
それがとてもシンプルで、逆に良かったのかもしれません
難しいことは考えず、とにかくコツコツと意識や価値観をひっくり返す事だけに精を出す日々がしばらく続きました
④へつづく