以前の私の理想はこうでした
見返りを求めない『無償の愛』でありたい、、
そうすれば、あらゆる悲しみや、寂しさや、怒りや、苦しみから解放されるのではないか、と
日々の様々な出来事に対して、いちいち心揺らすことに疲れ果ててしまってたんですよね、当時の私は
それは、多かれ少なかれ何かしらの『見返り』的なものを求めているからなのではなかろうか、と思ったわけです
それで『見返りを求めるの止めてみる』という実験をしてみようと思ったんです
そうして、『無償の愛』に意識を集中させて過ごしてみたのですが
そんなことをしていたら、当然ながら私の中の何かが次第に欠乏し、枯渇していきました
そのうちエネルギー不足に陥って身動きが取れなくなり、一度全てが強制終了となってしまったわけなのですが、
そこで初めて『何か間違ってる』ことに、やっと気がついたんです
とりあえず『無償の愛』とは、こういう苦行的なものから生まれるものではないということが、この時はっきりと分かりました
私は今一度『愛』について考えを巡らせました
そして、考えれば考えるほどよく分からなくもなりました
それはきっと『愛』には定義なんて無いからです
それこそ世界中の人間の数だけ、色んなカタチの『愛』が存在するのだと思いました
だったら『自分にとっての愛』についてだけ考えればいいんだ、、
最後には結局、そこに辿り着きました
私の『愛』に対するイメージはこうです
それは、苦しみ、悲しみ、心地悪さ、コントロール、といったものとは対極にあるもの
それは、安らぎ、安心、リラックス、穏やかさ、温かさ、心地よさ、
それは、枯渇することなく永遠に湧き続けるもの
それは、全てを潤し包み込むもの
それは、全てをゆるし、受け入れ、受け止めるもの
それは、自由、望み、喜び、光、、、
そして何となくみえてきたんです
『愛』とは、自分がそういう状態に成ることなんだと
自分自身がそれであるときに『無償の愛』は勝手に溢れ出して、周りのものを潤しながら包み込んで拡がっていく、、
そんなイメージが目の前に映し出されました
そこからです
私の意識がぐるんと反転し、ひっくり返って、まるで別の自分になったみたいに変化していったのは、、
③へつづく