ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

愛のエネルギーのはなし②

 

以前の私の理想はこうでした

見返りを求めない『無償の愛』でありたい、、

そうすれば、あらゆる悲しみや、寂しさや、怒りや、苦しみから解放されるのではないか、と

 

日々の様々な出来事に対して、いちいち心揺らすことに疲れ果ててしまってたんですよね、当時の私は

それは、多かれ少なかれ何かしらの『見返り』的なものを求めているからなのではなかろうか、と思ったわけです

それで『見返りを求めるの止めてみる』という実験をしてみようと思ったんです

 

そうして、『無償の愛』に意識を集中させて過ごしてみたのですが

そんなことをしていたら、当然ながら私の中の何かが次第に欠乏し、枯渇していきました

そのうちエネルギー不足に陥って身動きが取れなくなり、一度全てが強制終了となってしまったわけなのですが、

そこで初めて『何か間違ってる』ことに、やっと気がついたんです

とりあえず『無償の愛』とは、こういう苦行的なものから生まれるものではないということが、この時はっきりと分かりました

 

私は今一度『愛』について考えを巡らせました

そして、考えれば考えるほどよく分からなくもなりました

それはきっと『愛』には定義なんて無いからです

それこそ世界中の人間の数だけ、色んなカタチの『愛』が存在するのだと思いました

だったら『自分にとっての愛』についてだけ考えればいいんだ、、

最後には結局、そこに辿り着きました

 

私の『愛』に対するイメージはこうです

それは、苦しみ、悲しみ、心地悪さ、コントロール、といったものとは対極にあるもの

それは、安らぎ、安心、リラックス、穏やかさ、温かさ、心地よさ、

それは、枯渇することなく永遠に湧き続けるもの

それは、全てを潤し包み込むもの

それは、全てをゆるし、受け入れ、受け止めるもの

それは、自由、望み、喜び、光、、、

 

そして何となくみえてきたんです

『愛』とは、自分がそういう状態に成ることなんだと

自分自身がそれであるときに『無償の愛』は勝手に溢れ出して、周りのものを潤しながら包み込んで拡がっていく、、

そんなイメージが目の前に映し出されました

 

そこからです

私の意識がぐるんと反転し、ひっくり返って、まるで別の自分になったみたいに変化していったのは、、

 

 

③へつづく