ウルオのつぶやき

ウルオの日々の想いや不思議な話をゆる~くつぶやくブログです

自己肯定感のはなし①

 

ふとした日常の中で、何故か知らないうちに卑屈な思考になっていて驚くことがあります

『私なんてどうせ、、』

『こんな自分でごめんなさい、、』

誰かに何か言われたからという訳ではなく、どちらかというと自分で自分をジャッジしている感じ

 

それは、発想を変えれば良くも悪くも日本人らしい思考と言えるのかしら?

自分なんてまだまだです的な、奥ゆかしさ?と言うか、、

威張らない、出しゃばらない、遠慮する、相手に譲る、自分を下げて相手を上げる、、

そういう、控えめな性格が素晴らしいという価値観が、世の中には少なからずあるように感じます

 

でもそれは、間違った捉え方をしてしまうととても危険で

それは、ちゃんとした高い『自己肯定感』があってこその『謙虚さ』であることが大切なのだと痛感しています

 

……

 

私の実家では母が独りで暮らしています

数年前に父が他界し、以来一人暮らしになりました

実家は、私が住んでいる地域からは車で約2時間程で、日帰りでの行き来もできる、ほどよい距離感です

 

私には兄が2人いて、特に上の兄は母の面倒をよく見てくれているので、本当に有難いなといつも感謝しています

私はと言うと、色々と理由があるにしろ、事実としてあまり頻繁に母のところに行ってあげられておらず、電話での連絡も時々する程度、、

 

でもそれは、母のことが嫌いとか面倒とか、そういう気持ちがあっての事ではありません

私なりに母のことを大切に想う気持ちはちゃんと持っている自負はあります

、、だけど、どんなに母を大切に想っていると言ったところで、私のやっていることからすると、それは『無関心』や『薄情』となるのかもしれないなと、引け目に感じてしまうのは仕方の無いことでした

 

理由はどうあれ、なのです

『忙しいから』は言い訳でしかないし

『本当はこう想っていた』というのも、やっぱり言い訳でしかないと思うところがあります

態度や行動で現実に示さなければ意味がないということは、絶対的にあるとも感じていて、

そんな訳で私は深い『自分責めモード』の沼にズブズブと落ちていました

 

ここで本当に注目すべきなのはきっと、自分の『行動』の部分についてです

少しでも間違いや違和感を感じたのなら、どのように行動したらしっくりくるのかと、現実を改善する為の方法を淡々と考えたらいいだけなのに、、

私はいつもこの辺で道を踏み外してしまいます

『私って最低』とか『私ってなんて薄情な人間なんだろう』とか、自分の人格を否定し始めてしまうのです、、

そうしてどんどん深みにハマっていく、というのが私のいつものパターン、、

 

それが!!

今回はめちゃくちゃ早く、その沼から出ることができてびっくりしているんです!

この時私は、自分の中で一体何が起きているのかよく分からないながらも、思考回路が今までのそれと全く違うのを感じ、ワクワクしていました

 

 

②へつづく