今回私に起こった出来事についてまとめます
まずは『引き寄せ』とか『現実化』について思うこと
『望むから叶うのか、叶う未来があるから望みが湧くのか』
自分で思い描けることや望むことは、そもそも自分の世界線の中に存在しているものなのではないか、と思います
だからこそ、それを想像することが出来るのだと
私のことで例を挙げますと、
私は総理大臣になりたいとか思わないし
マッターホルンに登頂したいとか考えたこともないし
自転車で日本一周したいとかも思わないです
それってきっと、今の自分の世界線には、そういう未来は存在していないということなのかな?と思うのです
ただし、今の自分の世界線に無いというだけで、世界線が変われば当然未来も変わりますから、自分が何か望んだことにより世界線が変われば未来も変わる、ということなのかなとも思っています
自分が夢とか希望として思い描く景色があります
目を閉じて想像すると、色鮮やかに広がる景色があります
もしかしたらそれは、自分の未来を思い出しているのかもしれない
そう感じることがあります
もしくは、夢の世界を想像すると同時に、そんな未来が創造されていっている、ということなのかもしれません
想像は創造
創造は想像
いつも同じ話になってしまいますが、引き寄せや現実化の仕組みは、コレなのではないかと感じております
それともう一つ
自分の世界線の『ステージ』的なものが変わるということについて
時々、今まで自分がいた場所の、ステージが変わった、階層が変わったと感じる事があります
それはまるで、階段やエレベーターを使って上の階へ移動する様な感覚
そこには、今まで一度も目にする事が無かった世界が広がっていて
窓の外の景色だってそれまでと違う
小学校から中学校へ上がる時の感覚や、学生から社会人になった時の世界の見え方の変化などにも似た感覚があります
そんな風に、魂の成長にもある程度の課題があり、節目があり、ステージの切り替わりのようなものがあるように感じています
そのステージの切り替わりの時というのが、穏やかに流れるように移行するということは案外少なくて、大抵は激しさを伴うように思われます
私も、これまで何度か、そういう大きな節目と切り替わりを経験してきました
後から振り返るのは簡単ですが、その只中にいるときは本当に苦しくて、
まるで荒れ狂う大海原にからだ一つで放り出されたような感覚、とでも言いましょうか
前後左右の感覚がつかめなくなり、自分がどこを見ているのか、どこに向かっているのかが分からなくなってしまう
そして、ボロボロになって、バラバラになって、一度完全に停止して、、
そこから反転して新しいステージにひねり出されるようにして押し出される感じ
そうまでしないと次のステージへの切り替わりは起きないなんて、ちょっと過酷すぎる気がしてなりませんが、、
でもこれ、今文章にしていて気が付きましたが、子どもの出産に似ていますね
子どもの出産も、陣痛の痛みが激しくならないと進まない
そして母も子もお互いに激しい痛みを感じながら、赤ちゃんに関しては頭の形まで変えて、くるんと回転しながら外の世界に出てきます
うーん、何だかすごく共通性を感じてしまうのは私だけ??
話を元に戻します
で、今回私に起こったことについて、ですが
『ステージの切り替わり』と『望みの現実化』の2つが同時に起こったのではないかと感じています
望みの場所に辿り着くためには、ステージの切り替えも必須だった
その為に、全てが一気に起こったということなのかな?
そんな気がしています
最近地球の波動が軽くなったとよく耳にしますが、私も本当にそう感じます
昔より断然、現実化のスピードが速くなった!
今回のことで、身をもってそれを体験させていただいたと感じています
『その望みが本当に必要ならば、丁度いいタイミングで必ず起こる』
信じるか信じないかはあなた次第です(笑)
⑥へつづく