私が今見ている世界は私の心の景色
私という存在のエネルギーの在り様が『瞳』を通して現実世界というスクリーンに映し出されている
まるで映写機から映し出される映画のように
現実世界の器としての地球
その土台は全ての人間に共通したもの
しかしそこに映し出される物語は各個人それぞれに違っていて、同じものは一つとして存在しない
このカラクリに気付かないうちは、全てにおいてある意味受動的となる
世界という枠組みの中で生かされている私
人間としてこの地球で生かされている私
そして私という存在は限りなく小さなものとして認識されてしまう
大宇宙の中にいくつもある銀河
そのうちのひとつである私たちの銀河
その中の一つの恒星である太陽
その周りをまわる惑星の一つである地球
その惑星に住む70億の人類
のうちのひとり、それが『私』であると
果てしなく拡がる広大な宇宙と
果てしなく小さな存在である私
そんな構図が描き出されるとき、私たちは本来の力を失い、ただの人間という物質に成り下がってしまうのだと思う
今度は、全ての考えを反転させてひっくり返してみる
私が今この瞬間、見て、感じ、味わっている、この世界について考えてみる
この感覚は誰のものでもない、私だけのもの
物事の捉え方や感じ方は自分独自のものであって、自由そのもの
社会のルールや常識と言われているものを、どれぐらい取り入れてどれぐらい従うか、決めているのはいつだって自分自身
見たいものを選択できるし
聞きたいことも選択できる
食べたいものも自由に選べるし
好きな香りも選べる
住む場所も、仕事も、付き合う人間だって、
何もかも自由に選択できるし、決定権はいつだって自分にある
そして、想像する事に一切の制限は無い
どんなにくだらない事や、馬鹿らしい事や、どんなに恥ずかしい妄想や想像だって、
または、どんな綺麗ごとや、壮大な夢や、美し過ぎる理想だって、
どんなことを考えようと、それは個人の自由
頭の中で思い描くことの全ては自分だけのもの
『想像』することは『創造』すること
私たちはそれぞれに、自分だけの世界を想像し創造している
どれ一つとして同じものなど存在しない
70億の人間がいれば、70憶通りの世界が存在しているということ
私は私の世界の創造主である
そのことに気づき深く理解するとき、私たちは本当の力を取り戻す
それは、全てにおいてある意味能動的に生きていける能力
そして目の前に広がる世界の全てが自分自身であることを悟る
私が今見ている世界は私の心の景色
私という存在のエネルギーの在り様が『瞳』を通して現実世界というスクリーンに映し出されている
まるで映写機から映し出される映画のように