私の便秘歴は長い
その始まりは小学校入学だった気がする
私が小学生の頃のトイレと言えば、現在のような水洗式ではなく、ポットントイレと言われる汲み取り式のトイレが主流
暗くて怖くて近寄りがたく、ゆっくり排便しようと思えるような環境ではなく、気がつくと学校では大便はしないという自分ルールが出来上がっていた
そして社会人になってから私の便秘は更に悪化する
トイレへ行く為に席を立つことすら気を遣う程忙しい環境に、仕事中はトイレを我慢するのが当たり前になっていった
この頃は、とにかくトイレに行かずに済むようにと水分の摂取さえ控えたりしていた
そして我慢のし過ぎで便秘だけにとどまらず、膀胱炎も繰り返したりしていた
今にして思うと、なんて過酷な環境に自分を追い込んでいたことかと呆れてしまう
当時はそんな職場環境に自分を合わせようと必死で、自分の心の声に耳を傾けるどころか、外の世界にばかり目を向けて気を遣っていた
その時置き去りにされた私自身は、どれ程辛く悲しかっただろうか
便秘や膀胱炎という症状で、身体は限界のサインを出し続けていたのに、私はそれに寄り添ってあげるどころかもっと過酷な状況を与え続けていたのだ、、、
本当にどんな現実も自分が創っていたのだと気付いてからは、自分が自分の人生における一番の障害だったんだと思い知らされることとなった
便秘は今尚続いている
職場と働き方を変え、意識や考え方が変わり、自分に優しくできるようになった、今尚
とは言え状況は随分良くなっていて、今は条件付きの便秘といった感じに改善されてきている
それはとてと分かりやすくて『ストレスが多い時は出ない』というルールらしい
これは私の意思によるものではなくて、私の大腸の意思
大便を出すタイミングは私の大腸が意思とプライドを持って管理している、と言った印象なのだ
休みの日は面白い程スムーズに良い状態の便が出たりする
仕事の日の職場では便意があっても絶対出ないのに、帰宅した途端に出る!とかいうことが起こったりもする
そして、あまり無理したり緊張したりすることが多過ぎると、酷い便秘が発動する
その度に私は、私の大腸の強い意思を感じて感動すらしてしまう
昔の私は、各臓器の様々なな主張など決して聞き入ない、まるでブラック企業の最悪なリーダーだったんだ
今、理想とするのは
それぞれの意思を尊重できる、互いに信頼し合える関係性
互いに自由に発言し合って、上とか下とかでなく平等に対等な立場で、現状を創り上げていける関係性
それはきっと自身と身体の関係性だけの話ではなく、全てに於いてフラクタルに相似しているのだと思う
この仕組みに気がつくとき、エネルギーの循環や流れの方向が変わってゆくのだと思う