世の中には沢山の人がいます
それぞれに考え方も違うし、出来事に対する反応も違う、、
そんな中、関わりを持った相手に対し、どうも違和感や引っ掛かりを感じることもあれば、逆に何にも感じないこともある
はて、この違いって一体何なんだろう、、
そんな疑問がふとよぎりました
自分は自分
他人は他人
他人は自分で
自分は他人
対人関係で何か疑問が湧いた時などは、このフレーズを頭の中で繰り返してみます
心に違和感や引っ掛かりを感じるのは、きっとそれが特別だから
特別な存在、特別な自分、、
そこで"はっ"と閃きました
それはきっと問題解決が出来ていない自分自身のことなんだ、と
それは、例えば過去の自分自身
そして、過去のどこかの分岐点で分かれたパラレルワールドにいる別バージョンの自分自身
それらが『他人』に姿を変えて、今私の目の前に現れているのかもしれない、、
自分が今取り組むべきテーマ、解決すべきテーマに沿った形で、その『未完全な自分自身の姿』を今の私に見せているのかもしれない、、
そんな視点で『違和感』や『引っ掛かり』を改めて捉え直してみると、何だか面白く思えてきます
自分でも気付けなかった自分自身の未熟さを『他人』の視点で視ているという感覚
『私って、他者からはこんな風に見えているんだ』と冷静に分析する感覚が、私にはとても面白く感じてしまいます
世界はきっと多次元同時存在
沢山の次元が、折り重なるようにして存在しているのだと感じています
捉え方によっていくつもの世界が見えるようになってくるのは、それぞれの次元の違いを読み取っているのと同じことなのではないか
今日はそんなことをぼんやりと思いました